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オタ卒を決めた瞬間に起きた心の変化と、その後の自由

推し活をやめたい気持ちがふとよぎったけれど、
「本当に手放していいの?」と不安になることはありませんか。

私もかつて、そんな迷いを抱えていました――

“オタ卒”とは、一言でいえば「好きだったものから、自分の意思で距離を置くこと」。
それは、決して“嫌いになった”わけではなく、「今の自分に必要かどうか」を問い直す行為だと、私は思っています。

「推しへの想いは、きっと永遠に続くものだと思っていました。」

だから、もしその関係に終わりが来るとしたら、
涙が出るとか、燃え尽きるとか、もっと感情が大きく揺れるものだと想像していたんです。

でも実際は、そんな劇的なものではありませんでした。
それは、ある日ふと訪れた、静かな「気づき」から始まりました。

そして、私の中の“何か”がスッと切り替わった瞬間――
それが、INFJの私にとっては当たり前の、未来に向かって一気に動く瞬発力だったのかもしれません。

目次

グッズ整理で気づいたオタ卒のきっかけ

推しのグッズ整理中にふと止まった手

かつては新しいグッズが出るたびに真っ先に予約し、
イベントに向けてスケジュールを組むことすら楽しかった時期がありました。

でもある日、整理中に手が止まりました。

「……なんで、これ、買ったんだっけ?」

どれも大好きだったはずなのに、胸が動かない。
飾れない実家で、収納を圧迫するだけの“思い出”たち。
その姿に、ふと虚しさを覚えたのです。

「私、なにしてたんだろう」

それが、最初のサインでした。

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私のグッズ集めオタクエピソードの詳細はこちらの記事を参考にしてください↓

なぜ“推し活の熱”が冷めてしまうのか?

イベントに行っても、あの頃のように心が躍らなくなっていました。
周りの熱気に圧倒されて、自分の熱が引いていくのを静かに感じていたんです。

グッズを積むことで「推し活の愛を証明しなきゃ」と思っていた頃の自分は、
今思えば、“自己投資”ではなく“浪費”のような感覚に近かったのかもしれません。

かつてグッズショップで手に入れた商品を「勝利品!」とSNSに投稿していた自分の行動も、今では少し恥ずかしく感じます。
当時は深く考えていなかったけれど、グッズを得たことを誰かに認めてほしかったのかもしれません。

INFJというタイプの私にとって、“ふと訪れる気づき”は大きな決断の合図になることがあります。

そこから少しずつ距離を置くようになり、
気づけば、公式アカウントのフォローを外し、
グッズの発売情報も追わなくなっていました。

自然と推し活を卒業できた理由

やめる、ではなく“終わった”と感じた

「最後に買ったグッズって、なんだったっけ?」

そのくらい、気づけば自然に執着がなくなっていたんです。
“やめよう”と強く決断したわけではなく、
ある日ふと「もう、いいかな」と思っていました。

それは、Ni優位な私が、新しい未来に静かにピントを合わせた瞬間だったのだと思います。
そして私はもう、過去の「好き」に振り返ることがなくなっていました。

推しを手放しても後悔しない理由とは?

もちろん、あの頃の推しへの想いを否定するつもりはありません。
むしろ、推し活がなければ、今の投資をしたい自分には出会えなかった。

推し活を夢中で楽しんだ時間は、決して後悔していません。
あの時期があったからこそ、今の自分が「お金や時間をどう使うか」を見直せたのです。

だから、多額のお金を使っていたことにも、不思議と後悔はありません。

“片付けただけ”なのに、心が軽くなった理由とは?

このときふと思い出したのは――
私は、推し活にお金をかけていることを親に知られるのが恥ずかしくて、
グッズをこっそり収納していたことでした。

手放すときも、親がいない日を狙って、段ボールに詰めていきました。
ぬいぐるみとCD・DVDを分ける作業に集中しすぎて、ひとつひとつに浸る時間すらありませんでした。

けれど、宅配業者に引き取ってもらったあと、ふと気づいたんです。
オタ卒を決めたことで、手放したのはグッズだけじゃなく、
“自己否定と隠す生活”そのものだったのかもしれない、と。

あのときのグッズが何だったかはもう思い出せないけれど、
代わりに覚えているのは――
心が、やっと自由になった感覚です。

オタ卒したあとの心の変化とは?

予想以上にあっさりした心の軽さ

「手放したのに、全然気にならない」

それが最初の驚きでした。
むしろ、情報を追わなくなったことで心が静かになって、
毎日の生活に“余白”が生まれたんです。

ゲームをやめたあとは読書に、
オタ卒後はFP3級の勉強に――
少しずつ、時間と集中力が“自分のため”に戻ってくるのを実感しました。

オタ卒のあと、自由と“自己投資の時間”はどう生まれた?

推し活をやめたあと、時間とお金を「自己投資」に使おうと思ったとき、
私は『ジェイソン流お金の増やし方』という本に出会いました。

この本を読んで、倹約と投資の考え方に衝撃を受けました。
有名人でさえ、無駄な出費を見直しているという事実に触れ、
「私もいつかは推しを手放して、未来を設計しないといけなかったんだ」と、心から納得したのです。

もしオタ卒後の自己投資に興味があるなら、この本はきっと背中を押してくれる一冊です。

オタ卒から時間が経って、今どう感じている?

卒業は、感謝とともに“手放すこと”だった

追いかけていた時間にも、確かな意味がありました。
でも、もうそこにとどまらず、今の自分の人生を歩いていきたい。

そう思えるようになったのは、
過去を否定せず、しっかりと区切りをつけたから。

「卒業」って、きっとそういうものなのだと思います。

おわりに

推し活を“終わらせるべきか”迷っているあなたへ

推しを手放すことは、自分を取り戻すことでもありました。
その瞬間は静かで、でも確かな変化でした。

「いつか終わる」ことは、決して怖いことではありません。
終わったあとに、自分の手で新しい時間をつくっていけるから――。

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この記事を書いた人

INFJの元オタクミニマリストとして、Niの視点から「感情と行動の構造」を語ります。FP3級・簿記2級・NISAの実践経験をもとに、暮らしとお金の新しい選び方をお届けします。

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