引き出しを開けると、アクリルキーホルダーやぬいぐるみがぎっしり入っていました。
家族に見られないように、こっそりしまっていた推しのグッズ。
当時の私にとっては、宝箱のような場所でした。
でも、引き出しを閉めるたびに、少しだけ思っていました。
これ、いつまで増やし続けるんだろう。
全部大切なはずなのに、全部をちゃんと見ているわけではない。
持っていることは安心なのに、増えるほど少し重くなる。
その違和感を、当時の私はうまく言葉にできませんでした。
かつての私は、毎月1万円以上を推し活に使っていました。
合計すると、40万円ほどはグッズに使っていたと思います。
でも今、部屋には推しグッズはほとんどありません。
それでも、思っていたほど後悔はありませんでした。
手放したから、好きだった過去が消えたわけではなかった。
持っていなくても、ちゃんと残るものがあった。
この記事では、私が推し活グッズを手放していった過程と、そのあとに起きた心・お金・暮らしの変化を振り返ります。
手放すことを急がなくて大丈夫です。こういう変化の仕方もあるんだ、くらいの距離で読んでもらえたら嬉しいです。
推しグッズに囲まれていたあの頃
社会人になってから、自由に使えるお金が少し増えました。
公式サイトを見て、発売日を確認する。
ショップに行く。
気になるものを買う。
家に帰って、また引き出しにしまう。
その繰り返しが、当時の私にとっては楽しみでした。
ポケモンやおそ松さんなど、夢中になっていたジャンルがありました。
グッズを買うことで、その世界とつながっているような感覚がありました。
推し活に収入の1割以上。あの頃は“証明”だと思っていた
当時は、手取り収入の1割以上を推し活に使っていたと思います。
グッズ代だけではありません。
ショップまでの交通費、イベントに行く時間、通販の送料。
今なら「それも推し活の支出だった」と分かります。
でも当時は、そこまで細かく考えていませんでした。
買うことは、好きの表現でした。
持っていること。
集めていること。
ちゃんと追っていること。
それが、自分の好きの証明のように感じていたのだと思います。


集めることで“存在意義”を感じていた
実家暮らしだったので、買ったグッズを大きく飾ることはあまりできませんでした。
それでも、持っているだけで安心できました。
引き出しの中にあることで、「私はちゃんと好きでいる」と思えたのかもしれません。
でも同時に、引き出しはどんどん埋まっていきました。
見るたびにうれしいものもある。
でも、買ったまましまっているだけのものもある。
その小さなズレが、少しずつ疲れになっていたのだと思います。
疲れと違和感が教えてくれたこと
「なんでこんなに疲れてるんだろう」と気づいた帰り道
あるイベントの帰り道、ふと虚しさが出てきたことがあります。
買い物はした。
欲しかったものも手に入れた。
本来なら、満足していていいはずでした。
でも、心のどこかで思っていました。
これ、いつまで続けるんだろう。
推し活が嫌いになったわけではありません。
ただ、楽しいはずのものに、少し義務感が混ざっていたのだと思います。
買いたいから買う。
でも、買わないと落ち着かない。
その違いに、少しずつ気づき始めていました。


YouTubeで見た“手放す生活”に惹かれて
そんな時期に、YouTubeでミニマリストの方の動画を見るようになりました。
モノを減らすことで、心が軽くなる。
持ち物を見直すことで、自分の暮らしを選び直せる。
その考え方に、少し惹かれました。
最初から「全部手放そう」と思ったわけではありません。
ただ、引き出しの中を見たときの違和感に、やっと名前がついたような気がしました。
最初に手放したもの、残したもの
ぬいぐるみ・CD・DVDからの卒業
最初に手をつけたのは、ぬいぐるみ、CD、DVDなどの大きめのものでした。
場所を取る。
今はあまり使っていない。
今後も使う機会が少なそう。
そう思えるものから、少しずつ買取に出しました。
もちろん、もったいない気持ちはありました。
40万円ほど使って、戻ってきたのは3万円ほど。
数字だけで見ると、かなり大きな差です。
でもそのとき、「これは自分のお金の使い方を見直すきっかけかもしれない」と思いました。
損をしたというより、ようやく見えるようになった感覚に近かったです。


残したのは、日常で使っていたものだった
一方で、すぐには手放さなかったものもありました。
クリアファイルやポーチなど、日常で使っていたものです。
「使っている」ということが、自分の中で残していい理由になっていました。
すべてを一気に手放さなくてもよかったのだと思います。
残すものがあるから、手放せないわけではありません。
むしろ、残したいものを残せたから、少しずつ整理できたのだと思います。


最後まで残したものも、手放す時期が来た
以前は、FF9のビビのアクションドールを「最後に残した宝物」のように感じていました。
でも今は、その子も手放しています。
きっかけのひとつは、災害時に本当に持ち出したいものを考えたことでした。
大切なもののはずなのに、非常時に持ち出すものとしては浮かばなかった。
そのとき、「これはもう、物として持っていなくても大丈夫なのかもしれない」と思いました。
好きだった気持ちは、ちゃんと心の中に残っている。
そう感じられたから、自然に手放せました。


手放しても、後悔が少なかった理由
手放しても後悔が少なかったのは、嫌いになって捨てたわけではなかったからだと思います。
好きだった時間を認めたまま、今の自分に合う形へ変えた。
その感覚がありました。
もし、勢いだけで全部捨てていたら、もっと引っかかりが残ったかもしれません。
でも私は、少しずつ整理して、残すものも確認して、最後に手放しました。
だから「捨てた」というより、「役目を終えたものを送り出した」という感覚に近かったです。


あれから数年。今の私とモノとの付き合い方
自分軸で選ぶ暮らしへ
モノが少ない生活は、思っていたより快適でした。
引き出しを開けたときに、もう「どうしよう」と思わない。
収納場所を気にしなくていい。
次の発売日を追わなくてもいい。
それだけで、かなり気持ちが軽くなりました。
今は、「持たない」ことそのものを目的にはしていません。
今の自分が納得して持てるもの。
暮らしの中で無理なく使えるもの。
見たときに、静かに安心できるもの。
そういうものを選ぶようになりました。
手放したあとに起きた、3つの変化
- 部屋を片付けるストレスが減った
-
引き出しを開けるたびに感じていた小さな罪悪感が減りました。モノが少ないだけで、部屋は安心できる場所に近づきました。
- 情報を追う時間が減った
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以前は、公式サイトの更新日や新作情報に反応していました。今は、追わなくても大丈夫になりました。時間も気持ちも少し自由になりました。
- お金の使い道を自分で選べるようになった
-
「今月は何を買おう」ではなく、「今月は何に使いたい?」と考えるようになりました。投資や健康、未来の自分に関わることへお金を回せるようになったことは、大きな変化でした。


おわりに
推しグッズを手放したら、思っていたより後悔しませんでした。
でもそれは、推し活が無駄だったという意味ではありません。
あのときの私には、必要な楽しみでした。
集めることで安心できた時期もありました。
好きだった気持ちも、本物でした。
ただ、今の自分には、その形が合わなくなった。
それだけなのだと思います。
手放すことは、過去を否定することではありません。
今の自分に合う形へ、好きとの距離を変えていくことでもあります。
もし今、「手放したいけど手放せない」と感じているなら、すぐに答えを出さなくても大丈夫です。
まずは、何を残したいのか。
何が今の自分には少し重いのか。
そこから見ていくだけでも、少しずつ変わっていけるのだと思います。








