「推しを手放すなんて、裏切りみたいでできない」
「でも、最近ちょっとだけモヤモヤしてる…」
そんな気持ち、私もかつて強く抱いていました。
好きな気持ちは本物なのに、グッズに囲まれる日々に違和感を覚えはじめたのです。
手放すことが悪いことなのか、ずっと悩みました。
でもその葛藤と向き合ったことで、私なりの答えを見つけることができました。
この記事では、オタ卒やミニマリズムを経験した私が、どのようにグッズと向き合い、どんなふうに自分を整理してきたのかをお話しします。
誰かを否定するためではなく、「自分が納得できる選択」を探すヒントとして、そっと読んでいただけたら嬉しいです。
推しグッズを手放せない理由とは?
推しグッズには「モノ以上の意味」がある
グッズには、ただの物ではなく、感情や記憶、自己の一部が詰まっていることがあります。
私の場合、アニメやゲームのキャラクターが好きで、ぬいぐるみやクリアファイル、アクリルキーホルダーなど「同じ絵柄を揃える」ことに満足感を得ていました。
当時は低収入でも、グッズはまさに戦利品。
飾ることはできなくても、収納箱にしまっておくだけで心が満たされていたのです。
将来の計画がなかった私は、グッズ購入が唯一の楽しみでした。
tsumu9私のグッズ集めオタクエピソードの詳細はこちらの記事を参考にしてください↓
手放すことに罪悪感を感じる理由
ある時、オタク活動に虚しさを感じました。
「もういいかもしれない」と思い始めたものの、グッズを手放すことには強い抵抗がありました。
当時はまだミニマリズムという考えにも出会っておらず、「捨てる」という発想すらなかったのです。
愛着が薄いものもありましたが、焼却炉に送るのは何か違うと感じ、中古ショップに託すことにしました。
中でも、ぬいぐるみは特別でした。
どこか魂のようなものが宿っているように感じ、捨てるのはとても抵抗がありました。
実際に飾ることはなかったけれど、「この子たちを閉じ込めたままでいいのかな」と感じるようになり、むしろ“解放してあげたい”という思いが芽生えました。
グッズ整理が進まない心理とその突破口
ぬいぐるみが手放せなかった本当の理由
ぬいぐるみには、物というより「存在」のような感覚を抱いていました。
だからこそ、「ただの不要品」として扱うことに強い違和感がありました。
部屋の隅に置かれたまま、見て見ぬふりをするのではなく、誰かに大切にされる可能性がある方法で手放したい。
その思いが、私を前に進ませてくれました。
「誰かに使ってもらいたい」という手放し方もある
「捨てる」ことに抵抗があるなら、「譲る」「売る」という方法も選べます。
私にとっては、「焼却」ではなく「次の誰かに託す」という選択肢が心を軽くしてくれました。
自分の中で「終わった」と感じたグッズでも、誰かにとってはまだ価値あるものかもしれない。
そう思えるだけで、気持ちの整理がしやすくなったのです。
推しグッズを見直すタイミングとは?
過去の自分を否定せず、肯定する
今は投資をしている私ですが、ふと「あのときのグッズ代を投資に回していたら…」と考えることもあります。
でも、その支出があったからこそ「お金の使い方」に疑問を持ち、ミニマリズムや投資に興味を持つようになりました。
グッズにかけた金額は決して無駄ではなく、学びのきっかけだったと今では思えています。
「ときめき」か「義務感」かで選別するコツ
最後まで手元に残っていたのは、『FF9』のビビのアクションドールでした。
ミニマリズムとオタクの共存を模索していた象徴のような存在です。
しかし能登半島地震をきっかけに防災意識が高まり、私は「命を守るために本当に必要な物」だけを持ち歩くように意識が変わりました。
MacBookや必需品は思い浮かんでも、ビビのドールは“持ち出したい物”としてリストに入りませんでした。
ときめきよりも、「理念として持っていた」ことに気づいた瞬間です。
「ときめき」が続いているなら、無理に手放す必要はありません。
でも「災害時に持ち出したいと思えるか?」は、手放しを考える一つの視点になるかもしれません。
推しグッズを捨てずに整理する考え方
「卒業」ではなく「感謝して区切る」
私はINFJタイプで、一度手放したものに未練を持たない傾向があります。
でも、かつて推し活が生きがいだったことは変わりません。
だからこそ、グッズを手放すことは「卒業」ではなく、「人生のステージを変える区切り」だと捉えるようになりました。
好きなものに囲まれた暮らしから、新しい好きを迎える暮らしへ
グッズを手放したあと、私はミニマリストのYouTubeを観るようになり、引っ越しを機に2回目の断捨離を決行。
衣類や日用品も見直し、一人暮らしを始めた私は、“お金を使わないゲーマー”へと変化しました。
好きの形が変わることで、人生の景色も変わっていくのだと感じた体験でした。
私が推しグッズを手放して得られた変化
「推しを語らなくても自分を肯定できた」経験
推しが好き、という気持ちを私はずっと“グッズを集めることでしか”表現できませんでした。
でも、グッズを手放し、一人暮らしを始めたあと、ゲームを通じて多くの人と出会いました。
スプラトゥーンやAmong Usなどを一緒に遊ぶ中で、推しを語らなくてもただそこにいる自分を受け入れてもらえることが、新鮮で嬉しかったのです。
モノではなく、人とのつながりから得られた安心感
私は「一人で完結する楽しみ」しか知らなかったからこそ、誰かとワイワイする時間が本当に大切な体験になりました。
推しを証明しなくても、私は私として楽しく過ごせる。自分の楽しみを他人に見せなくても、つながりがあれば安心できる。そう思えるようになりました。
グッズがなくても、「推しが好きだった気持ち」は私の中にしっかり残っています。
だからこそ、「好きだった過去」と「今の自分」その両方に、私は誇りを持てるようになりました。
推しグッズを手放すか迷ったときのチェックリスト
私は「新しい可能性」が見えたことで、自然と手放すことができました。
でも、それが万人にとって当たり前のことではないとも思っています。
だからこそ、迷っている方にはこんな問いかけをしてみてほしいのです。
- そのグッズに、今も「ときめき」はありますか?
- 毎月の出費や収納スペースにストレスを感じていませんか?
- そのグッズがない生活を想像して、どう感じますか?
もし義務感や罪悪感から手放せずにいるなら、それはあなたの心からのSOSかもしれません。
そして、そこから自分を解放する選択も、確かに存在しています。
おわりに
推し活に正解はありません。
自分が納得できる選択をすることが、何よりも大切です。
推し活は素晴らしい経験です。
でも、それを続けるか、卒業するか、整理するか——選ぶのはいつだって自分自身です。
どんな選択をしても、正解は一つではありません。
「自分で選んだ」と胸を張れることが、何よりも大切だと私は思っています。

